08.12.03
初のソロ・アルバム『The Fine Art of Self Destruction』の日本盤(TECI-24173\2,520(税込))が、7月24日にImperial Recordsよりリリースされたジェシー・マリン(D Generation)のニューヨークでのインタヴューを入手!! インタヴュアーは音楽ジャーナリストの赤尾美香さん。今更ながら絶妙のインタヴューで、濃密な内容が楽しめます。赤尾ファンならずとも必読!!

――かつてあなたが在籍していたD・ジェネレーションは、1999年にサード作『Through The Darkness』を発表し、その後解散していますが、あなた自身がソロで演ろうと決めたのはいつ頃だったのですか?
J:1999年のことだった。D・ジェネレーションがあるパンク・バンドのオープニングを務めるんで、バスに乗ってた時のことだよ。客はみんなモッシュしたりして、俺が何について歌ってるかなんて気にもかけやしなかった。歌詞の面でも、音楽でさえもね。それでイラついてきたんだ。みんなには、速ければナンセンスな歌だってよかったのさ。それで、曲ともっと密接なつながりが持てるようになりたかったんだ。
――選択肢の中に、また新たなバンドを結成しよう、というのはなかったですか?
J:う〜ん、でも今一緒にやってる連中だってずっと同じメンツだし、俺のバンドとしてずっとやってきたんだ。単なる雇われのセッション・マンってわけじゃない。でも、ソロ・アーティストであることの自由さも好きだね。自分1人だったら、解散することも出来ないからな!そこが気に入ってるんだ。
――D・ジェネレーションといい、それ以前に在籍していたハート・アタックといい…。
J:ハート・アタックはガキの頃にやってた、ハードコア・バンドだった。デッド・ケネディーズ、バッド・ブレインズ、ミスフィッツ、サークル・ジャークス、GBHなんかと一緒にやってたんだ。別世界だったよ。
――そうですか。そのハート・アタックもD・ジェネレーションも、どちらもハードコア/パンク・バンドだったわけですが、D・ジェネレーション時代にもニール・ヤングのカヴァーをレコーディングしていましたし、このソロ作を聴けば、あなたがパンクやハードコアだけに影響を受けてきたミュージシャンでないことは明らかです。
J:この世には2種類の音楽があると俺は思ってる。いいのと悪いのとだ!(笑) 心のこもった音楽とそうでないのとがね。
――あなたにとって、D・ジェネレーションとはどんなバンドでしたか?
J:大好きな連中と共に素晴らしいひとときを過ごした。やることなすこと初めてのことばかりで、素晴らしくエネルギーを吐き出して、エキサイティングなことがたくさんあった。ツアー中は、いいジョークも飛び交ってたしな。
――そこで何か学んだとするならそれはどんなことだったのでしょうか?
J:狭い空間で5人で生活することを覚えたね。相手に対する思いやりというものを学んだよ。5人が結婚してるようなものだったもの。それから、音楽ビジネスがいかに破綻してるかも学んだ。嘘だらけの邪悪な組織だよ、あれは。それから、ステージに上がること、世界中を廻っていろんな国やオーディエンスに接することを学んだ。テキーラを短期間でしこたま飲んで、なおかつ歌うことも覚えたな。
――ところで、あなたは生まれも育ちもニューヨークなのですか?
J:そうだよ。
――ニューヨークのどこで生まれたんですか?
J:クイーンズ。アーチー・バンカー、サイモン&ガーファンクル、ラモーンズ、そしてスパイダーマンを世に送り出したところだ。結構退屈なところだから、そこから抜け出ようとするんだな。
――今もクイーンズに?
J:今は、ニューヨークのマンハッタンに住んでる。
――出来れば、生年月日も教えてください。
J:1968年1月26日に、クイーンズ、フラッシングにあるブース・メモリアル病院で生まれた。
――あなたの記憶に残る最も幼い頃の音楽体験といったらいつ頃ですか?
J:5歳の頃だな。父親がジュークボックス用のレコードを持ってたんで、俺はベッドの上で飛び跳ねながらチャック・ベリーの「Johnny Be Good」やエルトン・ジョンの「Crocodile Rock」とかを聴いてたものさ。それからキッスやラモーンズにハマって、金を持ってレコード屋へ走ったんだ。
――最初にのめり込んだバンド、アーティストというと?
J:キッスだね。エルトン・ジョンも好きだったけど、やっぱり最初のバンドはキッスだ。銀紙で作ったズボンに母親の靴を履いて、メイクをして、学校の学芸会でキッスの曲をギターで弾いたものさ。キッズにケチャップを吐きかけたけど、みんな喜んでたよ。
――その頃からギターを弾くようになったのですか?
J:そうだね。曲作りも始めた。それが自由になって、社会の外へ出ていくための架け橋だったんだ。
――曲作りを始めたのが…
J:11歳だった。
――それは結構早いですね。
J:3コード知ってれば曲が書けるってことを、ラモーンズが教えてくれたんだ。そこから練習すれば、ジミー・ペイジになれるってな!
――レッド・ツェッペリンも好きだったんですか?
J:ちょっとはね。愛憎だな。っていうか、レッド・ツェッペリンを嫌いになれるわけないじゃないか。でも、しょっちゅう聴いてるわけじゃないんだ。歌詞にはあんまり感心しないけど、音楽はかなりイケてるよ。'squeeze my lemon'だの'the vikings are coming over'だのには共感できないね。
――13歳でバンド活動を始めたそうですが。
J:そう、ハート・アタックがツアーを始めたんだ。
――その頃からハードコア、パンクに浸っていったんですね?
J:そうだよ。バッド・ブレインズのライヴを観たんだ。彼らは、俺がそれまで観た中で最高のライヴ・バンドだった。ワシントンDC出身の4人の若い黒人たちが、思いっきりスピードしまくってた。
――13歳という年齢で音楽シーンに飛び込んだあなたに対し、家族の反対はなかったのですか?
J:いや、結構応援してくれたよ。他の両親たちよりは協力的だったんじゃないかな。
――その頃既にあなたは、プロのミュージシャンになることを決意していましたか?
J:ああ、10歳の頃からこのライフ・スタイル、夢、現実、そして狂気にあこがれてたんだろう。11歳だったかな。
――ティーンエイジャーだった頃のあなたにとって、音楽とは何でしたか?
J:全てだった。音楽は俺にとって薬、自由、自分を確認出来る場だった。自分は1人じゃない、他と同じ人間なんだってことを確認出来る場だったんだ。そして、俺が育ってきたロクでもない主流から抜け出るための方法だったんだ。別の場所へ行くための自由だったのさ。
――パンクやハードコア以外の音楽にも耳を傾けるようになったのはいつ頃で、何かきっかけなどはあったのでしょうか?
J:いつだって聴いてたよ。ガキの頃からサム・クック、ジム・クロウチ、フランク・シナトラなんかを聴いてきたんだから。
――例えばリプレイスメンツは、パンク・バンドとしてデビューしながら徐々にその音楽性を変化させていきましたが…。
J:そうだな。でも、その兆候は前からあったよ。ファースト・シングルにだってスロウな曲はあったもの。「If Only You Were Lonely」はカントリー・ソングだった。でも、彼らからは多大な影響を受けたよ。大好きなバンドだ。リプレイスメンツのトミーは、ツアーで俺のオープニングを務めてくれたりしてるんだ。
――後にポール・ウェスターバーグは「もちろんパンクもハードコアも好きで演っていたけど、当時のシーンにおいてはそれが求められていたということもある。ハンク・ウィリアムスのカヴァーを演って罵声を浴びたこともあるけど、自分の中ではカントリーやブルースフォークもありだった」と語っています。
J:ああ、D・ジェネレーションも同じだったよ。同じ経験をした。客は、速くてマヌケな曲ばっかり求めてたんだから。
――D・ジェネレーションの音楽にはポップでメロディアスな面も充分にあって、ただただ勢いで突っ走るだけのものではなく、メロディにもこだわっていたと私は思います。
J:もちろん! チープ・トリック、ビートルズ、デヴィッド・ボウイが大好きだもの。
――あなたが曲作りにおいて影響を受けたと思えるソングライターというと、今挙げた人達なんでしょうか?
J:クラッシュのミック・ジョーンズとジョー・ストラマー、ポール・ウェスターバーグ、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、ニール・ヤング、それとありがちだけどローリング・ストーンズかな。
――また、かつては意識しなかったけれど、最近になって良さが分かってきたソングライターはいますか?
J:最近ザ・スミスが好きになってきたんだ。グレイトフル・デッドは、1曲だけ好きな曲がある。あと、モーターヘッドは好きだけど、ラッシュは好きじゃない。まあ、いろいろだよ。
――ソロ・アルバムに関しては、友人であるライアン・アダムスの後押しが強力だったようですね?
J:ああ。彼がプロデュースを買って出てくれね。本当に素晴らしいプロデューサーだったよ。5日間で仕上げたけど、彼は本当によくやってくれた。すごくいい奴なんだ。彼自身、才能あるソングライターでもある。
――彼と出会ったのはいつのことですか?
J:1996年だ。ノース・キャロライナでやったD・ジェネレーションのショウに彼が来たんで、バックステージでありとあらゆる音楽の話をした。それからずっと連絡を取り合ってて、彼がニューヨークに引っ越してきてからはよく会うようになった。それから彼がナッシュヴィルに引っ越したんで、俺は彼に『The Fine Art Of Self Destruction』に収めることになるであろう曲のデモを送ったんだ。
――あなたとライアンには共感出来る部分が多いと思いますか?
J:ああ、違うところもあるけどね。彼は南部のノース・キャロライナ出身だから、俺よりもルーツに根ざしたミュージシャンだ。一方俺はパンク出身だけど、2人ともブラック・フラッグや悲しい曲、それにうまい酒が大好きなんだ。ニューヨークで生まれるダークでロマンチックな詩は、シカゴでだろうがロンドンでだろうがウケるんだよ。
――アルバムが完成してからは、まずはイギリスで契約が決まり、その後アメリカでの契約も決まった、という順序ですか?
J:っていうか、両方の契約とも同じ頃に決まったけど、アルバムを先に出したのがイギリスだったんだ。イギリスはリリース・スケジュールが自由に組めたけど、アメリカはその前にリリースするものがあったんで、1月まで待ったんだよ。というわけで、輸入盤がしこたま売れたってわけ!(笑)日本盤には、何かエクストラなものが入るんじゃないかな。インタラクティヴ・ビデオかなんかが。アメリカ盤とは違うもになるはずだよ。
――レコーディングはたったの5日間で終わったということですが、曲は全てレコーディング前に書き上がっていたのですか?
J:そうだね。レコーディングしながら歌詞を作ったことはあったけどね。
――レコーディングは順調でしたか?
J:とにかく早かったよ。予算があまりなかったんでね。でも、良かったよ。また違った体験が出来てさ。50年代にやってたであろうレコーディングが想像出来たよ。
――予算がもっとあったら、もっと時間をかけてじっくりレコーディングしたかったですか?
J:まあね。でも、このアルバムには満足してるよ。あの時のドキュメントであって、ああなるべくしてなったんだから。世界がああなるよう望んでたのさ!(笑)
――レコーディングの際、特に「こんなアルバムにしよう」「こんなサウンドにしよう」と思い描いていたことはどんなことですか?
J:正直でリアルなものにしたかった。そして、あんまりプロデュースしすぎないものにね。生々しさがあるけども、温かみもあるサウンドにしたかったんだ。冷たいデジタル・サウンドじゃなくて、温かいアナログ・サウンドにしたかった。70年代みたいなアルバムにね。もしかしたら、60年代のストーンズやフィル・スペクターみたいな感じだったかもしれないし、ニール・ヤングの『Zooma』みたいな感じだったかもしれない。そういうことを思って作ったけど、結果がどうなったかはわからない。いろんな要素がごちゃまぜになったんだろうけど、満足してるよ。このアルバムをそんなにしょっちゅう聴いてるわけじゃないけど。
――バンドの一員でいる時とそうでない時とで、曲を書く時のスタンスやレコーディングに向かう姿勢は変化したと思いますか?
J:そうだね、ケンカや言い争いが少なくなったよ。でも逆にバンドだと、素晴らしい人達がいろんな意見や異議を出してくれる。だから、別物だけど、どっちもいいね。
――どちらかが好きということはないのですか?
J:今やってることが俺のやりたいことだから、ソロでやりたくなかったらバンドをやってるさ。選択肢があった中で、俺が選んだのがこれだったんだから、ハッピーだよ。
――アルバム収録曲は全て、このアルバム用に特に書き下ろされたものですか?以前から温めていた曲もあるのですか?
J:以前やってたベルヴュー&PCPハイウェイズって言うバンドのライヴでやってた曲が何曲かあるよ。「Brooklyn」と「Solitaire」がそうだけど、ほとんどの曲はこのアルバムのために書いたんだ。
――そのバンドは、D・ジェネレーションの後にやっていたのですか?
J:ああ。D・ジェネレーションとソロの間をつなぐ、音楽の架け橋的存在だったんだ。いきなりプールに飛び込むのが怖かったんだな。ソロ・アーティストだと、かなり大人な感じにしないといけないと思ってたんだ。ルー・リードとかが昔いろんなことをやってたことには気づかずに、ジェームス・テイラーとかデイヴ・マシューズとかのことしか思い描いてなかったんだよ(笑)。彼らが悪いわけじゃなくて…いいんだけど…、ただ違うんだな。俺はロックン・ロール畑の人間だから、自分なりのアプローチの仕方を見つけないといけなかったんだ。花火、スモーク、張形を使ってね。それにしても、日本へ行ってプレイしたいよ!1度も行ったことがないからな。
――ぜひ来てください!
J:本当に行きたいんだから。
――このアルバムが売れれば、チャンスはありますよ。
J:問題はそこで、果たしてこの手の音楽がウケるんだろうか?ハード・ロックがウケてるのは知ってるけどさ。
――日本ではいろいろなタイプの音楽が受け入れられているんですよ。あなたのような音楽も含めてです。
J:それは良かった。
――質問を続けます。歌詞に関しては、これまでのものとは趣が違うと思いますか?
J:前作から今回の『The Fine Art〜』までの間、ツアー中に随分曲を書いたから、いろんな見解で書いてるけど、ほとんどの曲はニューヨークで書いたんだ。内容は自分についてだね。
――ということは、実体験に基づいて書かれているのですか?
J:そうだね。名前を変えてる場合もあるけどさ(笑)。
――あなたが本作の曲を書くにあたり最もインスパイアされた出来事だったり、最も描きたいと思っていた感情だったり、ある種のテーマだったりがあったら教えてください。
J:インスピレーションは、ドアから出て行けばあるんだ。俺は、人生を反映した歌詞を書くのが好きなんだよ。俺のジレンマや苦しみについて書けば、それがはけ口となって浄化される。悪魔祓いの役目を果たすんだ。
――このアルバムに一貫して流れているのは、あなたの様々な感情なんですね?
J:ああ、そしてポジティヴな希望が流れていればと思うよ。トンネルの向こうに光が見えてて欲しいけど、実際には生き延びようとする気持ち、喪失感、自暴自棄、孤立感、もっと何かを求める気持ち、不満なんかが書かれているんだ。でも、所詮は曲なんだとも言える。俺は、情景を描いて雰囲気をかもし出せる歌詞が好きなんだ。『地獄のオルフェ』『欲望という名の電車』といったテネシー・ウィリアムズの本、ジョン・カサヴェテスの映画、『ミーン・ストリート』『レイジング・ブル』といったマーティン・スコセッシの映画が好きなんだ。レニー・ブルース(註:過激なマシンガン・トークが売りのコメディアン)の『Hold The MirrorUp』とか、ある環境に引き込むようなものが好きなんだよ。ストーリー性のあるものがいい。ザ・ポーグスのシェーン・マガウアンの歌詞もいいな。
――そういえばあなたは、マーティン・スコセッシ監督の『救命士』に出演していますが、どのようないきさつで実現したのですか?
J:先方が俺を見つけたんだよ。俺なら、クラブの従業員になれそうだっていうんで、クラブのドアマンの役をやったんだけど、あれは大変だったな。
――演技することにも興味はありますか?
J:「二兎を追うものは一兎をも得ず」って言うけど、やってみることは出来るよね。
――また機会があれば、やりたいと思いますか?
J:ああ、楽しいだろうからね。でも、今は音楽の世界にどっぷりさ!まず、こっちのコツを覚えないとな!
――タイトル・トラックである「The Fine Art Of Self Destruction」の背景も含め、あなたがこのアルバム・タイトルに託した思いとは?
J:面白いと思ったんだ。ファースト・ソロ・アルバムなのに、ぐちゃぐちゃになった恋愛関係とか人生についてだから、こういうタイトルにしたら面白いと思ったんだよ。それと、ちょうどタイトル・トラックを書き終えたばっかしだったんでね。これはわりと新しめの曲だったんだ。
――あなた自身についてのアルバムであるということで、ニューヨークが舞台になっている曲も多いかと思いますが、あなたにとってニューヨークとはどんな町ですか?
J:ニューヨークは、ドアから出て行くといろんな生活が起こってるところだ。エネルギーに溢れてるし、いろんな文化が混在してる。インスピレーションもエネルギーもある一方、暗い部分や辛い部分もある都会だ。夢が食われて消えたり、実現したりするところだよ。人々が何かをやろうとしてるところだ。愛もたくさんあれば、過当競争も行なわれてるし、葛藤もある。うまいピザや中華料理もある。
――ニューヨーク以外の街に住んでみようと、思ったことは?
J:1ヵ月くらいロサンゼルスに住んでたことがあるんだけど、あそこはまるで違うんで戻ってきたんだ。でも、ロンドンとか、その他の街には住んでみてもいいな。
――2001年9月11日、あなたはニューヨークにいましたか?
J:ああ、いたよ。かなりこたえたね。
――曲を書くことがセラピーになると言うミュージシャンも少なくありませんが、あなたにとって曲を書き、歌うということにはどんな意味があると思いますか?
J:俺にとってもまさにそうさ!
――『The Fine〜』は、とてもリアルかつロマンチックで、人生における痛みや寂しさに触れると同時にタフな強さをも感じさせるアルバムだと思います。曲やサウンドはもちろんですが、とりわけあなたの個性的な声がそうした印象をもたらしていると私は思うのですが…。
J:それはありがとう。
――あなた自身は自分の声、ヴォーカリストとしての自分をどのように見ていますか?
J:わかんないよ。俺は、フレディ・マーキュリーでもなければロバート・グーレ(註:60年代から活躍するシンガー、俳優)でもないからね。ただ、自分が書いた曲を歌ってるだけさ(笑)。一生懸命やってはいるけどね。ツアーをやることで、いい声になっていくんだ。
――ヨーロッパ・ツアーももう行なったんですよね?
J:ああ、4回やった。また行って、フェスティヴァルにも出るんだ。
――現在もツアー中ですか?
J:明日、ボストンからアメリカ・ツアーが始まるんだ。俺っていつもツアーしてるみたいだな。でも、ドラッグはやってないからいいんだ!ドラッグじゃなくてハッグ(抱きしめること)だよ!
――現在のツアー・メンバーを教えてください。
J:ブルックリン出身のイタリア系、ジョニー・パエザノ。彼はなかなかの性格の持ち主でね、木、きれいな女、犬に話しかける。車の修理も出来る。ドラマーはポール・グリスト。彼は以前、イギー・ポップやハノイ・ロックスやマイケル・モンローやサイケデリック・ファーズと一緒にやってた。俺のお気に入りのドラマーなんだ。ギタリストは、ジョン・F・ケネディが暗殺されたテキサス州ダラス出身のジョニー・ミクナップ。そして、ピアニストはジョー・マギンティ。すごく背が高いけど素敵な奴なんだ。彼の裸を見たことはないけど、かなりの女ったらしらしい。
――それがあなたのツアー・バンドなんですね?
J:そう、あとローディーとギター・テクはマイケル・スティッカー。彼は以前、デッド・ボーイズ、ローズ・オブ・ザ・ニュー・チャーチ、ブロンディ、ニューヨーク・ドールズ、そしてD・ジェネレーションと仕事をしていた。いつも黒い服を着てて、ロクにしゃべりもしない。でも、最高のマルガリータを作れるんだ。
――一旦レコーディングして完成した曲でも、ステージに上がって演奏するうち、そこに新たな発見があったりすることもあると思うのですが、どうですか?
J:ああ、人前でやると変わってくるんだ。部屋で、猫と一緒に壁を眺めながら書いた曲をオーディエンスの前でやると、かなりの違いが生まれてくるね。
――あなたにとって、ステージに立って演奏することに最大の魅力とは?
J:みんなの顔を眺めて、みんなが気に入ってくれてるのがわかることだよ。気に入ってくれればみんなエネルギーをくれるし、ギグ&テイクの関係が生まれる。それってすごくポジティヴなことだ。ビンを投げられないで済む。生々しさ、スポンテニアスさがあって、何だって起こり得る。もうこれくらいでいいかな? あと10分でレコーディングに入らなきゃいけないんだけど。
――わかりました。日本に来たいとのことですが、日本について何か知っていることはありますか?
J:いや、ただ行ったことのある友達によると、いつも楽しいって言ってたよ。すごくいいってね。
――最後に、日本のファンにメッセージをお願いします。
J:みんなに早く会いたいよ。『The Fine Art〜』を聴いてみてくれ。俺は前から君たちの文化や食べ物に魅せられてきた。みんなすごく親切みたいだから、日本へ行ってみんなに会えるのを楽しみにしてるよ。そして、クレイジーなロックをプレイして、君たちを酔っ払わせてやる。
インタビュー:赤尾美香さん  通訳協力:前むつみさん


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